「流行」との付き合い方
流行との付き合い方がここ1年で変わってきた。
昔は、「自分らしさ」みたいな概念を追い求めていたので流行が嫌いだった。
でも、その考え方が2つのきっかけで変わった。
①「自分らしさ」が肩書きではなく作り出すものによるということ
都市工というよりは、BKYの活動や「好きなものを追求しなくちゃまだ働いていない意味がない」という言葉が深く心に刻まれていること。
「北野→東大文科一類→都市工学科→岡部研→インド」という多分この世で唯一無二の経歴を歩んできたけど、それらは「自分らしさ」を生み出したと自己認識できないことに気付いたこと。
②無意識で流行の影響を受けていることを受け入れたこと
途上国のインフォーマルな住環境を考えるとき、自分はどうしてもフォーマルな都市計画の影響を受けるということがある。
この説は、多分他の分野にも当てはまるかと。
服も自分らしさを追及しようとしても流行からは逃れられない。
そうなった場合、「流行」は自分で選択するときの決定要因にはならないのかな。
2015年の振り返り(2015年のみとは言っていない)
今年一年を振り返るというよりも大学4年間を振り返ってに近いかもしれないです。
結論から入ると、
正しい道を選ぼうとするのではなく、選んだ道を正しい道にするために頑張るスタイルで!
と決意した一年でした。
世の中には遠い先を見つめてそこに向かって努力できる人がたくさんいます。大学に入るまで目の前にあった部活と勉強にがむしゃらに取り組むスタンスだった僕はそこに大きなカルチャーショックを受けました。
正直に申し上げて「目の前の欲求を殺して我慢するのが偉いって、なんてつまらない生き方だ」と直観したのですが、変なプライドがあったのかそんな風にならなきゃと思って自分なりにやってみました。
そのような生き方は最終目的に向けてステップアップを繰り返すのだと思いますが、未来を見つめるのがそもそも苦手な自分はいつの間にか手段であるはずのステップアップが目的となっていました。そこに喜びを見出していつしかそのような生き方に人一倍順応している自分がいました。
「たくさんのタスクをこなすゲームを楽しんでいるけど、一つの大きな壁が現れると他のことに思考を切り替えてじっくり取り組めない。やること減らせよ。」と今年の指導教官出口先生、来年の指導教官岡部先生にも指摘されました。
また、ある友達に建築士試験の対策を相談したんですが、そこでガツンと頭を殴られました(物理的に)
続けざまに
「自分から見たら、あなたはできることがたくさんあるスーパーマン。それなのに、いつも足りないものばかり探している。
人生短いのに弱点を補うことばかり考えていたら、それだけで人生終わっちゃうよ。やりたいと思うことを頑張ろうよ!やりたいことないの?自分も実はまだわかんない。それなら、一緒に探そうよ。両親が大学に行かせてくれているのをありがたく思っているからこそ、探さなきゃ。
スーパーマンが人生を棒に振ったらもったいないよ。(一部抜粋)」
と言ってくれた。そんなこともありました。
そういうことを繰り返すたびに、遠い未来ばかり見つめて頑張る生き方に大学4年間でドップリはまってそれしか見えなくなっている自分に気付かされました。それが大人になるということなのかもしれないですが、自分に向いている生き方ではないなとも。(内定先の皆様申し訳ありませんでした)
これをやりたいなーと思っている目標は捨てないのですが、そこまでの道のりは「自分が好きだ、やりたいと思うことに取り組んでそれを努力で正解にする」いう幼稚かもしれないけどエネルギーを一点に集中させられるやり方に回帰します。
(ただし、あくまで20代は基本的に自己ブランディング期間という設定は曲げない)
未来に向けて頑張るという手法、マインドセットを見よう見まねで覚えた自分だからこそ努力で正解にできる可能性が高まったと思う。東大に入ってよかった。
エチオピアで思ったこと
昨日、神保町のカレー屋エチオピアに行った。
先輩Aと行ってきたんですが、外部研究者に今やっている研究が褒められた話とかをキラキラ語ってくれてその場はとっても楽しかったんですよ。
でも、帰り道ふと思ったことが。先輩A、僕と仲良くしている友人Bとはすこぶる馬が合わないこと。お互い良いところがたくさんあるのに惜しいなーと思いつつ、
そこをしっかり指摘せずに八方美人している自分が一番ズルいなー
と認識してしまった結果、カレーに苦いスパイスが少しばかし加わったのでした。
まちあるきの面白さ
世界一周ブログとかを見ていると、日本人旅行者の特権として金持ちの振る舞い・貧乏旅行者の振る舞いの両方を体験できると書いているものが散見される。
僕は、この言説に納得できる部分がありながらも日本では両方体験できないのかと思っていた。
そして、今日クリスマス・イブ。
貧富ではなく聖堕という評価軸ではあるが、どちらも経験できた。これによって「日本でも両極端な体験を短いスパンですることは可能やん。」となり、以前からの懸念を払拭できた。
"聖"「東京カテドラル」と"堕"「渋谷ラブホ街」という電車で20分もあれば移動できる。(念のために言っておくと、僕は"堕"の人間臭さも大好きである)
東京カテドラル:厳かなミサで人々の願いが天井へと昇る、聖夜の象徴
渋谷ラブホテル:快堕をむさぼる男女が人間も動物と思い出せてくれる、性夜の象徴
普段から様相が大きく異なる二つの場だが、クリスマス・イブはその差異が際立つ。
丹下健三の名作ともいうべき東京カテドラル、人々はパイプオルガンと賛美歌が反響しながら天に昇るのに追従するかのように思いが天に昇る聖なる空間。隣で熟年夫婦の妻は言った。「また来年も一緒に来たいね。」
愛の中でも純粋無垢な馬による慈愛という単語がしっくりな空間。
一方、設計者が顔を出したがらない集合体の渋谷ラブホ街、人々(特に男性)は狭いビルとビルの狭間で動物としての本能を抑え込みながら人としての尊厳っぽいものを守ろうとしている。隣でカップルの女性は言った「やっぱり、あなたとは体を遭わせたくない。」
愛の中でも腹に一物ある狼による愛慕という単語がしっくりな空間。
どちらも人間の欲望が発露している。なのに、こうも結果が違うのか。
人間って面白い。
もっと、人間の思い・文化が表出した結果である街を歩きたい。日本の街も海外の街も。
「年賀状を出す人は大人」?
東京の銭湯には北陸出身者による経営者が多いらしい。
シンガポール、クアラルンプール、バンコクには潮州会館など華僑が集まる会館と互助組織の名残が大都会の片隅に残っている。そのような民族を超えた地域に根を張った互助組織は目につきやすい。
一方、東京にも昔から同じ日本人なので外見では判断できないが、同郷出身者が集う地域には県人会などの形でいろいろな地域の互助組織があった。例えば、最近も愛知県人寮が来年度の入寮者を募集している。
同様の形で北陸出身者が集まる会館も勿論存在していた。昭和初期、ここでノウハウが伝授されたのが当時黄金期を迎え各店舗が内装を豪華にすることにしのぎを削っていた銭湯だったといわれている。時代が下って東京でも見ることが少なくなったが、立派な宮造りの銭湯は往時の名残。
また、昔ながらの銭湯には浴槽の傍に立派なタイル絵がついていることが多い。これは同じ北陸繋がりで優秀な金沢の九谷焼職人に仕事を委託できたからだと言われている。九谷焼の職人は白磁のタイルに立派な絵を描くことに秀でていたらしく、銭湯のタイル絵との相性が良かったらしい。
(写真は著作権がよくわからないので掲載しませんが、興味があるならググっていただけたら)
東京の銭湯が下火になるのと時同じくして、九谷焼も後継者不足などに苦しんでいるのは何とも悲しい。。。
さて、前座が長くなってしまったが、、、
私の基本的スタンスは銭湯、九谷焼のような伝統文化が残っていくには現代の形に合わせていくしかないというものである。
昔は伝統を頑なに守るのか伝統文化を変形していくのかどちらが良いのか答えが出せなかった。ただ、去年の「ちゃんと年賀状、ちゃんと大人」という郵便局のコピーを見てから、完全に方針が固まった。あのキャンペーンを見た時の名状しがたい違和感の正体は今でもよくわからない。
売り手側が自分たちの利益を新たに得るための努力の方向性としては、絶対に間違っていたと思う。
あれを見てから、旧来の手法を守るように利用者側に呼びかけるのは望ましくないあり方だと思っている。
銭湯に関しても、古いスタイルを守ることと旧来のスタイルをお客さんに呼びかけることをはき違えないで欲しいなと思うのであった。
古いスタイルを守りながら新しい顧客を捕まえる。両立するのはとてつもなく難しいと思うが頑張ってほしいなと他人ながら思ってしまうクリスマスの夜。
どうやったら古い家の価値が上がるのか?
高齢者になってから住宅を売ろうと思っても築30年とか経っている住宅は価値が紙切れなのが現状。高齢者の移住の促進するための資金源を増やすためにも古い家の価値をあげられないかな?
日本の一般的な住宅のように部屋売りではなく、RC造などスケルトン状態で家を売ったらどうだろうか?
自分で家をカスタマイズすれば愛着が強くなるのでは?
タイルなどの伝統工芸品やソニーのITCなどをもっとミックスするがあれば、住宅の価値が上がるのかな?
ただし、ある程度の金持ちじゃないといけないのかな~
事務所、住宅など用途にしたがって使用年限が決まっているという現状もある。
どうしたら良いんだろう!
リフォームへの敷居がもっと低くなればいいのに!(by学科民)
冬至のあくる日に天皇誕生日
天皇誕生日関連でもう一つ。
(というか、こっちを書きたかったんだけど、そこに至るまでで一本記事が書けた)
日本人という概念が好きじゃない、国家のために働く崇高さは分かるけど自分には無理やわという思いを抱く一方、W杯で日本国歌が流れると目頭が熱くなる僕。
天皇陛下が目の前でなさる挨拶も胸に響く。
「今年も豪雨などの災害があり、~心を痛めています」
「冬至も開けて、これから日が長くなっていきます。今年もあとわずかになりました。来る年が人々にとって少しでも良い年となるよう願っています。」
(だいたいの引用)
この言葉を聞いて寒空の下にいるのに僕の心はポカポカ、目頭も少し熱くなった。
そこでなぜか思い出したのが、
「自分に期待している人はワクワクしている。他人に期待している人はイライラしている。」
という言葉。
僕の来る年を少しでも良い年にするのは僕なんだ。
年が明けたら、卒業設計も大詰めだしコンペもある。
4年間フラフラしながらも準備を進めてきた途上国スラム住環境問題に本格的に取り組むために土を耕す作業も終わった。来年はいよいよ種まき。
うん、来年も自分に期待してワクワクしよう。
それと同時に来年は23歳になるのに、まだまだやりたいことを追求できる環境を用意してくれる周囲の人々、そして過去の自分の取り組みに感謝したい。
大切だけど、忘れがちなことを何気ない一言で思い出せてくださった天皇陛下ありがとうございます。