記憶の皺、視野の広さ

今日は、某学科民の卒業設計敷地ということもあって最近馴染みが深い皇居へ。

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目的は一般参賀に行くこと。物心ついたことからテレビ画面の向こうにはいた天皇、皇后両陛下、最近何かと話題の佳子様などを自分の視野に捉えてみたいという思いに突き動かされた。

 

ただ、少し考えたら予想がつくことなんだけど、一般参賀への参加者が多くてほんとに小さくしか見えなかった。みんな紙の旗を振るからバサバサした音と日本国旗がいっぱいに広がった視界の印象が強い。

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陛下は挨拶をしてくださったのもあってどこにいるのか分かったけど、眞子さま・佳子様にいたっては区別できなかったし、、、

 

でも、テレビでなんとなく観るよりも大学4年生の冬の天皇誕生日は強く印象に残って僕の記憶の引き出しの天皇誕生日というカテゴリーの一番の上に来るだろうな。

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同じような例として、4/29にQVCで京大田中投手がデビュー戦で西武ライオンズ大阪桐蔭打線にボッコボコに打たれたのを思い出すね。youtubeで後で何度も見たけど、現地でレフトスイングから豆粒のように見える森君が綺麗なレベルスイングでセンターオーバーを打ったのが記憶の引き出しを開けた時の一番上にある。

 

視野ではっきり捉えるというのは記憶の皺がどれだけ深いかの重要な決定要因ではないんだな。

(森山剛志をプロデュース2016の重要性とはまた別物)

六本木の寒空にて

ベテルギウス、月、東京の夜景、イルミネーションの煌めき。

普段は遠くにある月もベテルギウスと比べたら近くにあるように見える。
光が650年も旅をしてきて僕の目の前に届くベテルギウス、たかが10キロ先が発行源の夜景。
 
どちらも美しい。でも、意味合いを考えるとベテルギウスはとてつもなく美しい。
絶対に届かないから美しいのか?
いつか行きたいと希求する思いを捨てきれないから美しいのか?
 
そのような認知行動を挟まなくても、ハッとする美しさ。
その後に、遥か遠くにある星から光が届く意味合いへと思いを馳せて更に惹かれる。
この二段階が好きのだろう。
とはいえ、夜景も同じようにハッとする美しさ→人々の生活が灯りの下にあるという認識過程を辿るから好きだ。
 
圧倒的な美しさで僕の心に訴えかけるイルミネーションは1段階だけどその美しさがハ
ンパじゃないという意味で別物だろう。
 
1つ共通しているのは心が洗われるということ。
優劣をつけるのは間違っているのかもしれない。
そういう思いが頭をよぎったとしても、ベテルギウスの美しさは東京のど真ん中六本木から見上げても圧倒的だ。
東京の夜景の中で一番好きな東京タワーでもかなわない。