記憶の皺、視野の広さ

今日は、某学科民の卒業設計敷地ということもあって最近馴染みが深い皇居へ。

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目的は一般参賀に行くこと。物心ついたことからテレビ画面の向こうにはいた天皇、皇后両陛下、最近何かと話題の佳子様などを自分の視野に捉えてみたいという思いに突き動かされた。

 

ただ、少し考えたら予想がつくことなんだけど、一般参賀への参加者が多くてほんとに小さくしか見えなかった。みんな紙の旗を振るからバサバサした音と日本国旗がいっぱいに広がった視界の印象が強い。

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陛下は挨拶をしてくださったのもあってどこにいるのか分かったけど、眞子さま・佳子様にいたっては区別できなかったし、、、

 

でも、テレビでなんとなく観るよりも大学4年生の冬の天皇誕生日は強く印象に残って僕の記憶の引き出しの天皇誕生日というカテゴリーの一番の上に来るだろうな。

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同じような例として、4/29にQVCで京大田中投手がデビュー戦で西武ライオンズ大阪桐蔭打線にボッコボコに打たれたのを思い出すね。youtubeで後で何度も見たけど、現地でレフトスイングから豆粒のように見える森君が綺麗なレベルスイングでセンターオーバーを打ったのが記憶の引き出しを開けた時の一番上にある。

 

視野ではっきり捉えるというのは記憶の皺がどれだけ深いかの重要な決定要因ではないんだな。

(森山剛志をプロデュース2016の重要性とはまた別物)